岩手県防災士会

能登半島珠洲市で災害ボランティア活動を実施(2回目)

その他の活動2024年11月21日

本ホームページにおいて、「能登半島珠洲市で災害ボランティア活動を実施」(9月30日)との記事を掲載しましたが、同会員が11月17~21日の5日間(最初の日と最終日は移動日のため実働は3日間)にわたり、前回と同じ珠洲市(能登半島の先端)を訪問し災害ボランティア活動をしたので、その報告をします。

9月30日に活動した以降、石川県災害ボランティアセンターからボランティアが不足している、とのメールが毎週届き、胸を痛めておりました。雪が降る前にでもと思い、意を決して、また珠洲市に行ってきました。
前回の移動手段は新幹線、宿泊先は金沢駅前のホテルだったので、2泊3日(実働1日)と短期間にも関わらず、出費が6万円近くかかってしまいました。今回は出費を少なくするため、移動手段は自家用車の軽トラ(高速料金は申請することにより無償)、宿泊先は「日本航空学園」を利用しました。前回行ったときに、「能登さとやま空港」の横にある「日本航空学園」に無料で90人余りの宿泊が可能、との情報を得ていたからです。宿泊場所となる教室には1教室あたり9つのテント(避難所に設営する約2メートル四方のテント)が設営され、テントのなかには、簡易ベッド、マットレス、毛布が具備され、エアコンも稼働していました。また、1階の教室は、ボランティアの談話室用として開放されてました。
「日本航空学園」はベースキャンプとの位置づけで、ここから、各被災地(輪島市、珠洲市等)のボランティアセンターにボランティアバスが運行されています。前回は、金沢駅発でしたので、珠洲市に到着するまで3時間もかかり、現地到着が930分でしたが、「日本航空学園」発では、現地到着が830分と1時間も早く到着するので、現地での稼働時間が1時間も延びました。
今回の活動内容は前回同様、被災で汚破損した家具、家電製品、ブロック塀等を軽トラックに詰め込み、仮のゴミ集積所に運搬する、というものでした。前回よりも、家屋の解体作業をしている箇所が多くみられた一方で、泥に半分車体が埋まった自動車も見られ、復旧が一様に進んでいないようでした。会員は3日間とも珠洲市で作業しましたが、日により行先を変えているボランティアも多数おり、その方々から「輪島市の被害が一番悲惨だ。」という話を聞きました。実際、ボランティアのニーズは輪島市が一番多いです。
次に「日本航空学園」での生活を紹介します。ボランティアはここで寝食を共にします。いわゆる部活の「合宿」と同じイメージです。各ボランティアは活動先から「日本航空学園」に帰ってきたら、学生寮の大浴場に行き疲れを取ります。また、人によっては汚れた作業着等を洗濯します。これら入浴や洗濯は、「日本航空学園」のご厚意により無料で利用可能です。食堂は有料ですが安価に利用できます。この食堂で感動したことがありましたので紹介します。朝食をとるために、食堂に行ったところ、既に学生が450人並んでいました。その最後尾に並んだところ、学生から「ボランティアの方は前にどうぞ」と言われました。「いいよ。いいよ。」と応えたら、別の学生から「いえいえ、前にどうぞ」と促されたので、数歩前に行ったら、「もっと前にどうぞ」と言われました。気づいたら、私は列の先頭にきてました。あまりにも感動したので、この出来事を、職員室に伝えたのはもちろん、ボランティア仲間にも伝えました。そうすると、「そうだよね。ここの学生は、挨拶をしっかりするし、すごく気持ちがいいよね。」と口々に言ってました。ボランティア活動をすると、依頼主から丁重な御礼の言葉をいただき、感動することはよくありますが、このような経験は初めてでした。「当初は3日間の予定で来たけど、居心地がいいから延長しているよ。」というように滞在期間を延長しているボランティアが多いのは、このせいかと思いました。
このように、合宿形式だと、ボランティア同士が情報交換、意見交換することができ、自然と被災地のために力を尽くそうという気持ちが高まります。前回は、金沢駅と活動先を個人で往復したので、そのような交流はほとんどありませんでした。ボランティアにとって、「費用がかからない」という目に見えるメリットだけでなく、精神的なよりどころとして「日本航空学園」が果たしている意義はとても大きいものと思います。「日本航空学園」の皆様に感謝を申し上げる次第です。

能登半島から岩手への帰路、「日本航空学園」で感動したこと、そして一緒に活動したボランティアの皆さんの顔や活動している姿が何度も頭に浮かびました。有意義で濃密な4泊5日でした。